フェルメールを訪ねてin Holland
マウリッツハイス美術館


 マウリッツハイス美術館のあるデン・ハーグはオランダの国中でも3番目に大きな街に当たります。ペアトリックス女王の住居がある街でもあって、オランダの行政の中心都市として役割を持っています。
 街の正式名は、スフラーフェンハーヘ(伯爵の生垣)というだけあって、アムステルダムとは街の雰囲気が全く違います。日本の東京と京都以上の差があり、とても落ち着いた雰囲気の街並みです。
 アムステルダムからは、列車で約1時間もあれば到着することが出来ます。途中、車窓から所々に見ることの出来る風車や、牧歌的な風景の中を静かに流れる水路などが、いかにもオランダらしい印象を私に与えてくれ、1時間の小旅行はあっという間に感じました。
 デン・ハーグ中央駅から美術館までは、数百メートルの距離に位置しています。どことなく気品あふれる街並みを見とれながら歩いていると、白鳥が遊ぶ優雅な池の側らに、壮麗として建つ小じんまりとした、マウリッツハイス美術館に10分程で着くことが出来ました。
 ガイドブックがなければ、見落としてしまうか、美術館かどうかさえも分からないような外観のお屋敷です。しかも正面の門扉は閉ざされているので、オープンしているのかさえもよく分かりません。たまたま訪れたイギリス人の老夫婦の後をつけて行くと、正面右手に小さな階段があり、それを降りた所が入口でした。
 手元のガイドブックには15ギルダーと記されていた入館料は、実際は12.5ギルダーでした。(日本語のパンフレットもちゃんと置いてありました。)
 外観にも驚いたのですが、一歩中に入ると今度はその内装の素晴らしさ、とても美術館とは思えないほどの格調高い雰囲気に圧倒されました。その昔、社交界の華麗な舞踏会が開かれ、迎賓館として使用されていたというのも、なるほど尤もだと思いました。
 そして、この美術館にはフェルメールの大傑作を含む3点の作品が展示されています。

「ディアナとニンフたち」(Diana and her companions)



 フェルメールの宗教画は3枚しかありません。その中の一枚という事になります。
 アムステルダムで観た作品とは随分と違って見えました。単に宗教画というだけでなく比較してしまうとフェルメールらしくない作品だからです。
 説によると彼の初期の作品で、所謂、修行時代?と言うか、自分自身の画風を模索していたころのものとされています。小林頼子さんはこの絵をフェルメールのものかどうか疑いを持たれて著書の中で「灰色」扱いなされています。
 絵というのもは、不思議と先入観があると、どうもそのように鑑賞してしまうもので、自分もちょっと疑いつつ観てしまいました。
 ただし、宗教画は宗教画としての楽しみがあるので、ここではその観方に徹することにしました。『西洋美術読解辞典』はこんな時にとても役に立つ名著です。キリスト教やギリシャ神話にそうとう精通している方ならともかく、普通我々日本人はそこに描かれた事柄に対してすぐさま理解できないものです。
 この本がどれだけ、役に立つかは実際使ってみると分かると思います。本の紹介文のようになってしまいました………

「デルフトの眺望」(View of Delft)




 フェルメールの2枚しかない風景画のもう一枚がこの作品です。「小路」と同じく出身地のデルフトの街を描いたものですが、随分と趣は違います。
 横幅は115,7cmで、彼の全作品の中では横幅だけなら一番大きい作品となります。ただし、最大と言っても普通の絵と比べれば同じくらいのサイズでしかなく、とりたてて大きい作品という事にはなりません。しかし、空間の描き方のバランスのせいもあって、雄大という言葉はふさわしくないかもしれませんが、とても奥行きの深さをまず感じ取ることができます。
 もし、この絵に「雲」が描かれていなかったならどうでしょう?前面に押し出した圧倒的な存在感を示し、また、河面や中央奥の建物に降り注ぐ光をたくみにあやつり、そしてオランダ特有の空模様を表現している「雲」。この絵の主役はこの「雲」だと思いました。
 アムステルダム近郊の町、ザーンセ・スカンスを訪れた際、ザーン川を挟んで見た風車小屋や建物が、場所は違いますが、まさにこの作品に表わされている雲中心の風景そのものでした。
 実際、オランダに今回来るまでは、この作品の雲の低さが、少し気になってはいました。でも、この目で確かめて初めて理解できました。これこそフェルメールが暮らした「オランダの空」なのだと。
 写真というものが、現在のようになかった時代ですが、この作品に表わされている風景は写真以上に現実のそれに近いものであったのだろうと、オランダの空を見て確信できた気がしました。
 ところで、手前の二人の女性は何を話しているのでしょう?天気のことでしょうか?ついつい空に目が行ってしまいがちですが、ここに二人が立っているだけで絵全体が随分と安定するものですね。
 


「真珠の耳飾の少女」(Girl with a Pearl Earring)



 言葉がない。
 「謐とした雰囲気。露とした感覚。詠ずるかのような口元。」
 言葉で表わそうとすると、陳腐な物にたちまちなってしまいそうで。かといって黙っているわけにもいかず。
 世の中には言葉ではとうてい表現することのできないものが存在するのだということを、改めて認識させられてしまう、そんな作品です。
 この年にもなって「一目惚れ」もないのですが、心ここにあらず。完全に気持ちを奪われてしまいました。
 私が訪れた日、マウリッツハイス美術館はとても空いていて、小さな展示室にこの絵(彼女)と私だけになれた時間がありました。まさしく至福の時です。
 絵の前に一人で立ち、半眼で絵の中の彼女と向かい合い、しばし目をそらさずに観ていると、イヤリングの輝きが増し、彼女の口元から言葉が聞こえたように思え、そして私の手が自然と吸い込まれるように絵に向かって行きました。
 その時。他のお客さんが入ってくる音が耳に入り、我に返って慌てて手を元に戻しました。あやうく異国の地で犯罪者になる寸前でした……でも、もしそうなったとしても厭わないないと思わせる程、蟲惑的な少女であり、作品です。
 フェルメールの作品の中で一番の作品は迷うことなくこの作品だと思います。幾多の本などでも、様々な称賛の声や評価がなされています。でも、あえてこの絵に関しては、それらとは無縁に是非、ご自身の目で直接観ていただく事をお勧めします。(でも、大阪で行われた特別展のような場所ではなくて、静かなこの作品にふさわしいマウリッツハイス美術館でですよ。)






Mauritshuis